skyline photography of buildings and bridge

東京Eバイクさんぽ 2023/12/12

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急に冷えてきましたね

10年に一度のレベルの寒波だそうですが、「〇〇年ぶりの〇〇」とか好きですよね、メディアは。10年に一度って、地球レベルで見たら頻繁ですよね。

寒くなると、薄い生地のジャージを着て走る気はなくなり、防風ジャケットを着込んだとしても止まると寒いので、最近はEバイクでの走行が増えております。というか、年中Eバイクですね…

でも、今は2月に入荷する予定の「SILEX 4000」がとてもとても楽しみです。あれが来たら、いろいろなところへ行こうと思っていますよ。もし、旅先に自転車を持っていく場合、ふつうのロードバイクを持っていくのと、SILEXでは、後者のほうがより旅を満喫できそうです。おそらく、一度それを経験してしまうと、つまり、「SILEXを持ってきてよかった〜。走れるところ増えて楽しい!」となると、もうふつうのロードバイクは出番が限定的になってしまうでしょうねー。

都内も、ペダルバイクか、あるいはEバイクかによって、楽しみ方は変わります。クロスバイクでもできる、MTBでも、ロードでもと思うでしょうけど、うちの店のあたりは平らですが、皇居に差し掛かる辺りやその西側は入り組んだ台地になっていて、むしろアップダウンしかない地域があります。クルマと同じ道路を走るぶんには平らっぽく思えますが、それは平らにした地形です。クルマと一緒にストレスフルな走行をする時間は減らして、サッサと路地に入り、ゆっくりと街を眺めながら探索するのがおすすめなので、Eバイクは必須であります。

両国、人形町、日本橋

両国といえばというスポットの1つがライオン堂。最近は相撲を取り上げることがポリコレ的に避けられているのか、メディアに呼ばれる機会が極端に減った気がします。ライオン堂は通常よりも大きなサイズの衣類を販売しているお店です。基本的に力士は一年中浴衣しか着ませんので、主に下着類が多いですが、スーツなどもあったりします。この並びには、以前は墨田区役所がありました。今の都税事務所があるところです。小さかったぼくは、区役所の窓口に飾ってあった花瓶をひっくり返して、頭から水を被りました(だって、花がいけてなかったら空っぽだと思うでしょ?w)。下着までびっちょりだったので、母はライオン堂へ駆け込み、子供サイズの大きめの下着を履かせてくれました。そんな思い出の?ライオン堂です。

人の記憶は曖昧なものです。人が死ぬと、その写真の顔は見たらわかりますが、記憶の中のそれはどんどん忘れ去られていきます。特に声を覚えておくのはけっこう難しい気がしています。建物も、ふと更地になってしまうと、「あれ?なんだったけ、ここ」と思うことはよくあります。何度も言ってますが、東京は変わり過ぎだと思うんですよ。Googlemapで確認したところ、内科クリニックだったようです。

キンシ正宗って名前は見聞きしますけど、飲んだことはない酒、京都のお酒だと、今調べて知りました。なんとなく、キンミヤ焼酎と記憶の中でごっちゃになってる気もします。「酒の中の酒」ってすごいですね。ここにはどうやら、角打ちがあるらしいです。うちの近所でもそういう酒屋はまだありますね、スカイツリーの近くです。ところで、キンシってあらためてちゃんと考えるに至ったら、「あー、金鵄(きんし)なのかー」と繋がりました。なぜ金鵄なのか?と調べてみたんですが、今のところはわかりません。

これはなんですかね?鹿の角のようだから、鹿なのかな?金閣寺の瓦にも鹿の文字があったりするようですし、鹿へんに瓦と書いて㼾(ろく)という文字もありますが、なぜ鹿なんでしょうね?しかも、左右が対になっているように見えます。

なんでしょうねぇ。◯谷石店?でも、石屋の構えじゃないですよね、これ。看板建築の庶民型という感じもします。こういう建物多かったですねえ、都内は。70年くらい経ってるんじゃないかと思いますが、傾いていないのはすごいですね。もう使用されていないようなので、数年のうちに壊されてしまうでしょう。

ここは以前から気になっているんです。都内できしめんはめずらしい。しかし、看板には弱気に「そば」と存在をアピールしていますw この近隣にお努めの男性諸君は一度くらいは入るお店なんでしょうか?

ファイントラックはどんなアイテムにもベンチレーションが付いているのは便利です。でも、うっかり開けっ放しであることを忘れることがあります。「さむいなーさむいなー」と思ったら全開だったり…w

ここも気になる「野球小僧」。気になるけど、ちょっと面倒な感じもします。看板がなにかの色に染まっていれば、入りやすかったり、あるいはその逆だったりするんですが、白なので、どうなんだろう?w

再開発だらけ。ここは日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発だそうで、元は何でしたっけ?

こんな建物ありましたっけ?って、あまり観てないんでわかんないですね。ピカソタワーというらしく、オフィスビルですって。ピカソ美化学研究所という会社のビルのようです。ピカソ?なぜ?と思ったら、「美しく化する素」でびかそ、がピカソのようです。昭和10年創業なので、関東大震災の13年後で、226事件の一年前ですかね。

都内では有名なロシア雑貨のお店「赤の広場」でちょっとお買い物。ウクライナ戦争開戦直後には、閉めていた時期もあったのですが、いまではすっかり元通り。チョコレートとジャムを買いました。

銀座、日比谷、永田町

銀座は食べ物のお店がたくさんありますけど、オフィス街ですし、混んでいるのもイヤですし、ぼくはあまり入りません。入るのは時間をずらした満福くらいかな。あそこのワンタンメンは絶品です。ここはその近くのチョウシ屋。コロッケパンとハムカツパンを買いました。こういう店が良いんですよ。

いやいやびっくり。緑!?と追いかけて近づいたら、なんと「ヴィーガン ウェイパー」とは。中華ですよね?w 肉を使わない中華だしというのもどうかと思いますし、ヴィーガン中華があるとしたら、もはや中華の何を残しているのかわからないんですがw

チョウシ屋で買ったコロッケパンを日比谷公園で食べました。美味。日比谷公園は都会のオアシスですな。あ、高校の卒業式が日比谷公会堂でした。学校からぜんぜん遠いんですけどね。

ご存知の「松本楼」です。松本楼って、年に一日だけ、カレーライスを10円?で食べられる日があって、そこに主に老人が長蛇の列を作っていたのが、毎年のニュースになってましたけど、あれって最近は出ませんね。やってないのかな?と調べたらまだやっていました。なるほど、あれは寄付をするイベントだったんですね。しかし、このご時世で流石に無理ということで、2023年からは創業年である120年に応じて、120円以上を寄付するようになったようです。でも、120円かーという感じはしますね。メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンに寄付するなら、ここからさくっと1,000円でも2000円でも寄付して、松本楼でランチを食べたいものですね。そこまで高くないですからね…

すべていちょうの木です。左上だけ日比谷公園で、あとは国会議事堂の脇あたり。日比谷公園は都立公園なのでイチョウが多いのは頷けます。ただ、同じ都内の公園でも最近は雌の木が不評ということで、雄への植え替えも増えています。でも、この周辺はとにかく雄が多かったです。日枝神社の中も雄だったし、とにかく銀杏が大量にありました。

指が入っちゃいましたけど(トリミングがめんどうw)、こんな高いコンクリの壁ってあまり見ませんよね。いや、もしこの壁をなにかの建物の内側から見ていた場合、けっこうな絶望感を感じるだろうなあと想像しました。10月に重監房資料館へ行った際、3.5メートルの壁の模型を見たんですが、これのほうが高いですね。六本木通りに面した首相官邸の外塀です。

こちらは山王パークタワーです。もとは山王ホテルがあったところで、226事件のときに蹶起した青年将校が本営とした場所です。

日枝神社へお参り。ここの階段は一段がでかいですよね。

坂を上がると、都立日比谷高校があります。ここは東京府第一中学だったところで、そこから一高、帝大というエリートコースの一部でした。戦後も東大合格者を多数出し、一時期は1人にまで減ったものの、一昨年は63人とさすがというところ。古い建物も残ってますけど、倉庫かなにかなんでしょうか?

旧永田町小学校の跡の向かいには「華族女学校の遺蹟碑」があります。現在は参議院議長公邸のあるところです。かつてここには華族女学校がありました。明治10年、皇族や華族の子弟のための教育機関として、神田錦町に学習院が創設されました。男子部と女子部がありましたが、全200名のうち、女子は59名。その後、教育の充実を掲げて、いろいろあり、その後、ここに華族女学校が設立されたようです。女学校ができる際の留学生にはあの津田梅子の名前があります。同じく留学生には大山捨松がいます。大山捨松は大学を卒業して学士号を得た最初の日本人女性であり、大山巌の妻になった人ですね。石碑には昭憲皇太后が云々と書いてありました。なお、戦後は接収され、ジェファーソンハイツという米軍住宅があったところです。

紀尾井町から神楽坂へ

平河天満宮の鳥居は石に銅板が巻き付けてあります。そこには戦時中に米軍機からの機銃掃射を受けた跡があり、内側の木が露出しています。機銃掃射したのはSBDかな。弾痕からみてM2の50口径っぽいですが、上の方にあるのは7.62mmにも見えます。

いまもまだ東郷元帥記念公園のままの名称。銘板を探したけれど、さすがにないらしいです。元帥の名称が残っているだけマシかも知れません。

ここは神楽坂です。かつて田中角栄が妾のために家を買ったんですが、ここだったという場所に来てみました。最初に買った家だと思います。350坪あったという場所はこことは別なのでは。目白御殿も建てたんですから、すごい時代ですね。

そして、ここも神楽坂なんですが、かつて「松ヶ枝」という料亭のあった場所で、こちらが表玄関でした。上の写真の場所から、徒歩でも2-3分のところです。そして、この松ヶ枝はなんと幽霊会社に買収されました。その発起人が田中角栄で社員はゼロ。6億円くらいだったらしいです。

というわけで、今回の東京Eバイクさんぽはいかがでしたでしょうか。寒空の都内は空気が澄んでいるので、ちょっと台地の上まで登れば、意外と遠くまで見渡せるかも知れませんよ。