東京自転車さんぽ 2022/2/11

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ひさびさのこのカテゴリー笑

気分に任せてやっているという無計画さなので、今に至るわけですが、まあ、寒くなったことも散歩記事が減った原因ではあると思います。

雪がふるふると言っていたのにそうでもなく、さんざん警戒したのはなんだったのかと言わんでください。これは我が国が震災によって獲得した警戒システムと技術であって、何事もなかったことを喜びましょう。

すみだリバーウォーク

すみだリバーウォークは隅田川橋梁南側に新設された歩道橋です。自転車でも押して渡ることができます。2020年6月に開通したばかりですから、まだ知らない方もいらっしゃると思います。浅草と東京ミズマチを結び、スカイツリーまでを徒歩で繋ぎます。

隅田川橋梁は東武伊勢崎線を通す鉄橋で、昭和6年に架けられました。東武線を浅草駅まで延長するために架けられ、隅田川の眺めを考慮し、トラス橋にしないデザインとなりました。浅草駅に入線する場合、この橋の制限速度である15km/hで走行するのでゆっくりと渡る電車をリバーウォークからも眺めることできます。

設計者である田中豊は隅田川に架かる他の橋の多くを手掛けており、蔵前橋、駒形橋、言問橋、清洲橋、永代橋、相生橋、総武線隅田川橋梁も彼の設計です。当時は震災からの帝都復興の途中でしたし、技術者と国との距離が近かったですから、そのようになったのでしょうけれど、そもそもは鉄道系の技術者で橋梁技術者ではなかったようです。もしかすると、恩師・広井勇に顧問への就任を依頼したところ、「落ちないようにやればよい」と逆に激励されたというエピソードからは、穴埋め的に任されたのかも知れません。

しかしながら、上に書いた橋ひとつひとつを眺めても大変個性的ですし、まるで同じ人が設計したようには見えませんし、大事な役割を見事にまっとうしたのだと理解します。また、それは隅田川における大事な景観をなっており、このあたりに住む人々にとっては生まれたときから当たり前の景色でもあります。

早めの昼食なのか、遅めの朝食なのか

その後はおなじみスケロクダイナーでイングリッシュブレックファースト。これがめっちゃ美味い。ソーセージもベーコンもチリもマッシュルームも最高。こんなボリュームたっぷりなもんを朝から食わないと、そりゃナチスドイツと最後まで戦うことはできないし笑、”英国人”はできあがりませんし笑、ノルマン人やデーン人による侵略にも耐えられないのでしょうね笑

さすがに日本人には朝食としてはむずかしく、遅めの朝食として食べに行ったのですが、明確に昼食として腹にしっかり溜まったというわけです笑

浅草松屋の煙突

スケロクダイナーから見える浅草松屋には煙突があります。もちろん今は使われていないんですが、かつて使われていました。石炭を燃やして、その熱を各フロアに送るというセントラルヒーティングシステムを採用していたのです。すごいすごい。スプリンクラーはアメリカ製で、日本で2番めに輸入されたものだったと聞きます。隅田川橋梁が1930年築で、東武浅草は1931年築。この2つは浅草の景色をガラッと変えたのでしょうね。

なお、浅草松屋の場所に何があったのかは知りませんので、今度調べてみようと思います。ちなみに、同じ松屋でも銀座松屋の場所には、かつては明治の煙草王であり、日本で最初に広告をものを売ったという岩谷松平が開いた薩摩物産販売店”薩摩屋”があった場所です。電通の創始者である光永星郎が岩谷松平の影響により広告に興味を持ったというエピソードは有名ですね。