春になったら行きたいところ

この記事は約 5 分くらいで読めます

今回はアートの話です

私にとって自転車は趣味の一つではありますが、それ以外にもいろいろと趣味がありまして、んー趣味というか興味を持てるものです。コロナ以降、それはまた拡がった部分もあり、狭まった部分もあり、興味を持つ内容に変化が出ました。

アートの分野はちょっと苦手ですが、過去の歴史についての知識を紐解く中で旧ソ連における集団住宅であるコムナルカに関しての知識を得る機会があり、それについてのイベントで聞き、ぜひ行ってみたいと思いました。1976年生まれである私にとって、旧ソ連のイメージはウォーズマンくらいで笑、それ以外の知識はありませんでしたし、気がつけばペレストロイカだったので、よく分からないものでした。最近になり、過去の歴史など人文系の知識に興味を持った中で、旧ソ連での人々の暮らしやその体制について考え始めました。また、それが今の自分を取り巻く環境や人生の目的や意味についても考えました。

コロナ禍に突入した当初の2020年春、私は精神的に追い込まれました。細かな内容については触れません。それはコロナウイルスに対しての考え方は人それぞれだからです。とにもかくにも辛くなり、食欲は低下し、自転車に乗りたいという気持ちも減退しました。みなさんの中にもそのような経験をした方もいらっしゃるかも知れませんね。

もちろん、当時のソ連のほうが圧倒的に大変で、私は何ひとつ法的には強制されてはいませんけれど、今現在も続く社会にはびこる閉塞感や定期的に襲いかかる落胆は、人間が未来に対して今日とは違う区切りを感じたり、その先に夢を抱くことができるかどうかについて言えば、現在の日本においても、共産主義社会で当たり前にある密告のような行為も見られますし、社会の窮屈さという意味においては、私が今おかれている環境を自分で理解するのに役立ちますし、辛い中で元気を見い出すのにも興味深く感じました。


春がきたらこれを見に、越後妻有へ行こうと思っています

カバコフの夢は越後妻有でひらく

カバコフは旧ソ連(現ウクライナ)のドニェプロペトロフスクで生まれました。ウクライナは今とても大変な事態になっていますね。カバコフが生まれた当時も、独ソ戦での激戦の地でもありました。

カバコフの父は酒飲みでDV夫でしたし、家庭の外に女を作り出ていきました。ゆえ、母1人で育てられました。とても貧しく、住む場所さえままならなりませんでした。お金がない中で母親は自分の息子にアートに才能のあることをみつけ、芸術学校に通わせましたが、住む場所がなかったので、自分も校内で清掃の仕事をしつつ、トイレを改装してこっそり住んでいたりしました。しかし、それも密告され、追い出されてしまいます。

カバコフはそのような辛い暮らしの中で、自らの精神を逃がすために自分のために作品を制作するようになったのです。

旧ソ連にはコムナルカという大変窮屈で、プライバシーもなく、過酷な集団住宅がありました。カバコフの代表作である「10のアルバム」はコムナルカに住む人達を描いた作品です。

コムナルカは住宅の供給難に苦しむ旧ソ連において、貴族の邸宅を政府が供出させ、そこに雑多な人々を強制的に住まわせるもので、ひと部屋をテーブルクロスや食器棚で区切るだけで、まったく関係のない人々が共同で暮らします。子供、若い人、夫婦、独身者や老人まで様々な年齢層がいましたし、職業も本当に雑多な状況なのでとても過酷な生活環境だったそうです。

貴族の邸宅なので部屋の作りは大きくて、それぞれの人達に部屋が割り振られることはなく、その大きな部屋を区切って生活をするということになります。中には浴室をあてがわれたり!?、窓のない部屋もあったりしましたし、音も匂いも共有されますし、ヒソヒソ話もできません。コムナルカには必ず密告屋がおり、反体制的な話でもすればすぐに密告され、秘密警察に連行されたりもします。

毎朝トイレは大渋滞、風呂に入ることもままなりません。一人に与えられたスペースは2畳半ほどしかないので、できるだけ生活に必要のないものは置きたくありません。ゆえ、共有部分となった廊下は不用品である家具やピアノ等が置かれた雑多な状態となります。

コムナルカには強制的に住まわされるため、自分の意志で引っ越すことはできません笑。また、必ずしも職場に近い場所を宛てがわれるわけではなく、全くランダムだったそうです…笑。むちゃくちゃですよね。

それでも人々はコムナルカで毎日を過ごし、食事をとり、喧嘩をし、恋をしたりもしました。その中で育まれたカバコフの夢は、旧ソ連における生活の過酷さや共産主義の失敗をエキゾチックに綴るものでもありますし、その中で暮らす人々の姿を想像させるものです。

旧ソ連という数奇な運命を描いた国に住む人々やカバコフ自身が過ごした生活の中で、逃げ場としての夢を描くトータルインスタレーションを制作しました。


《手をたずさえる塔》完成――《カバコフの夢》が完結する(大地の芸術祭)

「手をたずさえるとは、あらゆる人種、国籍、文化の人々がお互いを人間として受け入れることだけではなく、あらゆるレベルで他社の知識を尊重し、理解し、育てるのを助けることです。」
とカバコフは言っています。


私がカバコフのことを知ったのは1月でした。ウクライナはクリミア併合の際にも戦いが起きていますが、今もまたロシアが侵略を開始するかも知れない状況にあっては、カバコフの想いが心に響いてきます。

私もまだ行っていないので、みなさんも興味があれば、春になって雪が溶けた時期になったら妻有で行われる「大地の芸術祭」を訪れてみてください。