[ コラム ] 来年4月1日からヘルメット装着が努力義務化の件

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来年4月から法律が施行されます

今回改正されたのは、道路交通法第63条の11です。

(改正前)
【児童又は幼児を保護する責任のある者の遵守事項】
児童又は幼児を保護する責任のある者は、児童又は幼児を自転車に乗車させるときは、当該児童又は幼児に乗車用ヘルメットをかぶらせるよう努めなければならない。

(改正後)
【自転車の運転者等の遵守事項】
1.自転車の運転者は、乗車用ヘルメットをかぶるよう努めなければならない。
2.自転車の運転者は、他人を当該自転車に乗車させるときは、当該他人に乗車用ヘルメットをかぶらせるよう努めなければならない。
3.児童又は幼児を保護する責任のある者は、児童又は幼児が自転車を運転するときは、当該児童又は幼児に乗車用ヘルメットをかぶらせるよう努めなければならない。

これまでヘルメットの装着努力義務が課せられていたのは、13歳未満の児童のみでしたが、それが全年齢に拡大されます。

努力義務とは?

努力義務とはなんなのでしょうか。文面にある「かぶるよう努めなければならない」という部分がそれで、「かぶらなければならない」ではありません。また、義務ではありませんので、刑事罰に問われることはありませんし、罰則も罰金もありません。しかし、「それならば、被らなくても平気なのだろう?」と思われるのは間違いです。これは”かぶらなくてもいい”という法律ではありません。しかし、義務ではない…、これはなんなのでしょう。

努力義務とは義務化に至る過程で、あるいはそれを見据えた形で、義務ほどの強制力を発揮するには難しかったり、無理が生じたりするケースに、ソフトランディングするための法的なアプローチです。つまり、実質的には義務だと考えるほうがただしいと思います。だからといって、ぼくはみなさんに被るべきだとは主張しません。それはみなさん自身がご自身のために考えることだと思うからです。

なんのためにかぶるのか?を考える

目的は自明で、事故を起こした際に死亡する確率を低くするためです。自分を守ることが目的です。自分の頭を守る、脳を守ることが大切だからです。この背景にあるのは、死亡事故の中で自転車に関わることがあまり減っていないことがありそうですし、それを警察庁が気にかけているのでしょう。

それに加えて、保険会社に関連する話題がありそうな予感はします。実際、事故が起きるには双方がいないと成立しません。その双方のいずれが加害者で被害者なのかはわかりませんし、それほど明確に切り分けられるケースは多くないでしょう。ぼくは被害者を守るべきだが、加害者を守るべきではないとは思っておらず、双方ともその後も生きていかなくてはならないと思っています。その上で、被害者がヘルメットを装着していないがため、加害者が負う賠償金なりの負担が莫大になることは避けるべきだと思っています。ゆえ、自分を守るために、また社会的な公共性としても、ぼくは主体的にヘルメット装着をする機会については以前から考えています。その瞬間に相手が悪いからと言って、自分がどんな状態であってもいいとは思いません。めっちゃかんたんに言いますと、ぼくやあなたが加害側に回る可能性があるということです。

そのように考える場合、通勤や通学時のヘルメット装着はほぼ義務化されるでしょう。それは喫煙に関する話題に似ており、もはや受動喫煙を容易に認める企業は社会的に悪であるというくらいにまでなっていますから、従業員がヘルメットを装着していないまま通勤したり、業務を行ったりする場合には、悪だと認定される社会になる可能性は十分にあると思いますし、ぼくはきっとそうなると思います。マスク装着のケースをみればわかりますね。

それでもなお、ぼくは主体性もってかぶることを選択すればいいと思っています。会社に従うか否かは個人が判断するものです。大抵の人は従うでしょうけれど。

自転車の自由度を阻害するけれど

自転車は人間がもっとも少ない力でもっとも速く、遠くまで移動することができる、実に素晴らしい道具だと思います。ただ、その都市の規模やつくり次第では、それが持つ非効率な一面も顔を出すものだと思います。そのいずれかがただしいのではなく、自転車をその社会や都市のそれぞれの特徴に合わせて、その中で、安全で効率的な利用を推進していくべきだと思います。その際には、現在の社会において、ヘルメットを主体的に装着することが求められているだろうと思っています。

考えてみませんか?

ぼくは普段も幹線道路を走る場合には主体的な判断としてヘルメットを装着し、前後のライトも点灯あるいは点滅させて走行しています。アイウェアもスタイルに合わせて選択し、必ず装着します。ただし、ちょっとそこまで5分くらい、ほぼ危険がなさそうである移動を自転車でする場合には、ヘルメットをかぶっていませんし、今後も同じでしょう。また、ぼく以外の誰かがヘルメットをかぶっていないからといって、その人を責めたり、ネット上に晒したり、あるいは直接かぶるように促したりすることもありません。なぜなら、それはぼくではないからです。

4月からの法律の施行を前にみなさまも、あるいはご家族の中で、ただ単に「かぶらないといけないらしいから、今日からかぶろう」ではなく、自転車を利用する際にヘルメットを装着する意味や目的について話し合ってみてはいかがでしょうか。自転車の利用者にはそれが必要だと思います。また、朝夕の時間帯は特に頻繁に散見されるような、自転車での信号無視や逆走などの無法かつ無謀な運転についても、”取り締まられないからやってしまえ”と判断するかどうか考えることにつながるのではないでしょうか。”言われたからやる”というだけの世の中では、このような自由に対する規制や障害がどんどんと増えていってしまうことになってくる、そんな世の中だと思います。ぼくはそれを望みません。みなさまはどうお考えでしょうか。