フィッティングサービスとはなんぞや

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フィッティングも荒れてますね。

よくわからないですけど、根本的にスタートする地点とそこからのメソッドは同じはずです。しかし、その優位性を明らかにするのに”言い方の問題”での敵対に終止しちゃうのは困ったなぁと思う次第。ホイール論争にも似てる?

そもそも、”フィッティング”って言葉を使いたくないと思う私です。なんかその宗教論争に巻き込まれたくありません…。”フィッティングは宗教”というのは違うと思います。

バイクの乗り方の基本は一つしか無く、その先に強くなればその人の動きに個性が出るのは当然の結果。それが宗教化するのはわかります。でも、入り口の人に”どの個性が正解でしょうか?”ってやる意味は全然ないし、むしろ迷惑。

フィッティングはバイクの乗り方であって、ペダルを漕ぐ時の効率的な身体の動かし方なのであって、”カタチ”じゃないんですよね。日本語によくある外語にすることで中身をぼやけさせるサービス方式に戸惑うだけだと思います。

肝心なのは基本ですし、どのスポーツでも基本は一つです。それがなぜ分裂するかというと、その一つしか無い基本を伝えずにいる場合が多くて、意識もして無くてさせて無くて、その基本の言語化にすらチャレンジしてるかどうかっていう教える側の問題じゃないか、と。

だから、
 納車 → 当然悩みが出る → 「はい、フィッティングしましょう」
になる。

この時にうまく説明されてないケースが多いと私は思いますんで、フィッティングサービス以前に知るべきことはありそうです。

フィティングサービスはつまりライセンスビジネスなので、”何フィットでもなんでもいい”
のです。

ただ、残念ながらどのフィッティングにも「レバーはこの指で握って下さいね。それはこういう理由ですからね」という部分が欠けてます。つまり、それは知っている前提だからです。

自転車に乗る基本を教えずに、何れかのフィッティングサービスを受けてもその意味を理解できないという方も少なくないんで、フィッティングサービスが意味ないんじゃなくて、それを理解できるようになるために基本を知り(私はそれのサービスもしてます)、その先の過程で利用しましょうっていう話ですよね。

マティーノの自転車スクール
http://www.biciclettadimattino.com/school.html

自転車の基本を学ぶことで、フィッティングサービスで出たカタチを理解し、その上でどのように体を動かすかを考えることに意味があります。

今自転車に上手に乗れているベテラン勢っていうのは、”ちゃんと教わってない”けどできちゃってる人達なので、その人が教える限界って実は結構低い。

身体の専門家に簡単に論破される程度のメソッドとも言えないようなことを教えているケースが多いので、フィッティングシステムが出した数字を噛み砕いてないケースも有るし、同じバイク(数字)の上に人間をどう乗せて、どう動かすかについてはかなり無知だったりすることが多いので、理解していない者同士がフィッティングシステムで出た数字をトレースしているのは結構見かけます(笑)

フィッターとしての能力と本人の速さは別腹。

もちろん、私はパーフェクトですという意味じゃないです。日々鍛錬だし、日々勉強。でも、サービスする側も受ける側もシステムに頼りっきりっていうのパターンになってはいけないなと考えています。