全てはここから始まった

この記事は約 2 分くらいで読めます

確か、ホテルに着いたのは夜中の1時とか2時とかで、そこまでたどり着くのに成田から28時間くらいかかって(笑)、翌朝9時くらいに始まった初の打ち合わせ。

思い返せば言いたいこと言って(今もか笑)ましたけど、そこに集められた人達はみんな”言いたいことが言える人”でした。言わない人は要らない、っていうか呼ばれてない。だから呼ばれたんだって理解しました。しかし、これから何が起こるのかわからないままに、28時間も掛けてたどり着き、旅はこの日から10日間も続くし、その後帰ったら売らないといけないわけで、かなりの緊張感を感じていたんです。

2011年の終わり頃、「よし、んじゃスペイン行くよ」と言われて「へ?スペイン?」と。だって普通は無いことです。店が新しいメーカー・代理店と契約しても、そんな事は起きません。ただ売るだけ、それが普通。しかもスペインですからね、箱根とかじゃないんです(笑)しかも、売れてるメーカーじゃなく、まだまだ日本で全く知られていないメリダをどうやって売っていくかを考えないといけないわけです。お店を始めてから半年も経ってないのに2週間お店はお休み(笑)私には選択権があったので、行かないということも出来ましたが、私にはそれを選ぶ考えはありませんでした。だって、面白そうでしょ?(笑)

全てがバタバタで、行き当たりばったり(笑)

でも、それが楽しかったです。あのような経験をさせていただいた事には感謝しています。

それから翌年、翌々年と2月の頭の1〜2週間をマヨルカ島で過ごすことになりました。そこで会うドイツやベルギーやオランダのプレスやディストリビュータを「元気だった?」と声を掛け合えば、”日本でのよくあるメリダへの扱われ方”が如何に誤っているかを思いました。

あのような場でメリダとヨーロッパの自転車文化を体験できたことは今も私の糧になっており、これを読んでいる皆さんにメリダや自転車文化をお伝えすることに使われています。場所も環境もですが、あの場に集った人達の魅力が、今の日本でのメリダ文化を作ったのだと自負を感じます。

私はこれからも引き続き、日本でメリダが深く理解されることを願っていますし、メリダ、ミヤタサイクル、メリダディーラーとお互いに協力し尽力していきます。